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東京高等裁判所 昭和41年(く)109号 決定

主文

原決定を取消す。

本件を東京地方裁判所へ差戻す。

理由

(本件即時抗告申立の理由)

本件即時抗告申立の理由は、弁護人司波実、同後藤昌次郎共同名義の即時抗告申立書及び同理由補充書に記載されたとおりであるが、その要旨は、

東京地方裁判所刑事第一六部は、被告人芳賀昭夫、同山野井仙也両名に対する本件詐欺等被告事件第四九回公判の際に、弁護人が取調を請求した証人中、長崎クニ外四名を取り調べる旨の証拠決定をしながら、第六〇回公判において弁護人の意見を聴くことなく右証拠決定を取り消して採否を留保することに変更した。後にこれに気付いた弁護人は第六二回公判に至って、当時意見を求められなかったことを理由に右証拠決定を取り消す決定の撤回を求めたが裁判所はこれに応じないばかりでなく、弁護人が右の取消決定に対し異議を申し立てると、前記証拠決定の取消に際しては弁護人に意見を述べる機会を与えたと強弁して右の異議を却下し、そのため弁護人が同部裁判官全員の忌避を申し立てたところ、同部は「訴訟を遅延させる目的のみでされたことが明らかである。」として右申立を却下するに至った。しかしながら右の忌避は前記の事情のもとでは裁判官が本件につき予断偏見を抱いているとの疑が強く、とうてい公平な裁判を期待することができないために申し立てられたもので、訴訟を遅延させる目的のみでされたことが明らかな場合にはあたらないから、これを刑事訴訟法第二四条により簡易却下したことは不当である。

というものである。

(当裁判所の判断)

よって関係記録を調査して検討するに、

一、原裁判所の本案審理の経過中問題の個所は次のとおりである。

(一)  第四九回公判(昭和三九年九月二一日)では、(1)弁護人(当時は馬屋原成男弁護士)が第四八回の公判で取調を請求した証人五名中、高橋和夫、古賀武両名の採用が決定され(残り三名中、一名は留保、二名は撤回)、(2)新たに弁護人が取調を請求した証人一八名中、長崎クニ、坂田平八、細川長次郎、饗庭忠三、木藤勉の五名が採用され(その余は留保)ている。

(二)  第六〇回公判(同四一年六月一四日)に至って、弁護人(司波実及び後藤昌次郎の両弁護士)は改めて冒頭陳述をするとともに計五一名の証人の取調を請求し、これに対し裁判所は、川瀬亮之進、内田義夫、相磯新一郎、花村進、渡辺重雄、浜野吉男の六名(弁護人提出の即時抗告申立書に川瀬亮之進外六名とあるのは、さきに第四九回公判で証拠決定のあった高橋和夫……次回の第六一回公判で取調済……を含んでいるものと推測される。)の採用を決定するとともにその余の証人については採否を留保したが、その際前記五一名中に重複して含まれていた前掲坂田平八、細川長次郎、饗庭忠三、木藤勉の四名については第四九回公判の際の採用決定を取り消し、当日請求の分と併せてその採否を留保し、五一名中に重複して含まれていなかった前掲長崎クニについては単に第四九回公判における採用決定を取り消してその採否を留保した。

(三)  第六二回公判(同四一年七月一二日)において、弁護人は(1)第六〇回公判において、裁判所が前掲長崎クニ及び坂田平八外三名についての従前の採用決定を取り消し、これを変更してその採否を留保するに際して弁護人に意見を求めず、また意見を述べる機会をも与えなかったことを理由として裁判所に対し右採用決定の取消の撤回を求め、これを拒否されるや異議を申し立て、(2)異議を却下されると裁判官全員の忌避を申し立て、(3)右忌避申立がただちに簡易却下されたためにこれに対し即時抗告を申し立てている。

(四)  前記第六〇回公判調書中の証拠関係カード記載状況は、弁護人が取調を請求した五一名の氏名が列記され、その意見又は異議の申立欄には、前記採用決定された川瀬亮之進等六名の外に、上野某、外山連、坂倉誠、平田久美、榎戸俊介の五名、計一一名については何等の記載がなく、他はすべて不必要と記載されている。従って第四九回公判の際に取調を請求された証人とその氏名が重複している坂田平八等四名についても、同欄にはいずれも不必要との記入があり、更に結果欄にはいずれも「第四九回での決定を取り消し、本日分と併せて留保」という記載があり、また同じく第四九回公判で取調を請求された長崎クニに関しては前記五一名とは別に、末尾にその氏名が記され(第六〇回公判においては請求はなかった)、意見又は異議の申立欄は空白で、結果欄に単に「取消留保」との記載がなされている。

(五)  第六一回公判(同年六月二八日)においては、証人古賀武の証人尋問調書(第五〇回公判調書添付のもの)が被告人芳賀の関係で証拠調された外に、証人川瀬亮之進、同高橋和夫の取調が行なわれている。

二、本件の起訴から問題の第六二回公判までの本案審理の全体の経過はおよそ次のとおりである。

(一)  起訴について

(1)まず昭和二九年一二月二七日及び同三〇年一月二九日被告人芳賀昭夫が詐欺罪により(ダイヤモンド事件)、(2)被告人芳賀は同三二年五月四日及び同年六月一七日、被告人山野井仙也は同年五月一五日及び同年六月一七日共犯として詐欺罪により(東京経済研究所関係)、(3)被告人芳賀はその後、同三三年四月二日、同三五年五月一三日、同年一二月五日、同三七年一一月一二日、それぞれ融資を利用する詐欺罪により、(4)被告人山野井は同三六年五月二四日横領罪により、同三七年一二月二一日詐欺罪により、それぞれ起訴されている((2)、(3)、(4)の記訴事実はそれぞれ(1)、(2)、(3)の各起訴時よりおおむね後の犯行である)。

(二)  審理経過について

(1) 前記各事件は東京地方裁判所刑事単独部の数部に配点されたが、当初の被告人の病気、その後の裁判官の更迭、弁護人の交替その他の原因が交錯して実質的審理の進行が遅れ、ようやく昭和三七年末に至って、前記関連事件全部を山岸薫一判事が担当することになり、さらに同三九年五月一三日同判事を裁判長とする合議部に移され、同年六月二二日(前記(2)の起訴事件の第四八回公判)に至り、全部の事件が併合のうえ一括して審理されることとなった。

(2) その頃には、各事件とも検察側の立証は既に終了していたので前記の如く第四八回(昭和三九年六月二二日)及び第四九回(同年九月二一日)の公判では馬屋原弁護人の冒頭陳述、証人の取調請求がなされ、第五〇回公判(同年一〇月八日)では前掲の古賀、坂田、細川、木藤の四証人が出頭(長崎、高橋、饗庭三名は不出頭)したが被告人芳賀が不出頭(裁判所には出頭したが病気のため審理の際には在廷できなかった。)のため同人の事件は分離され、同被告人に関しては古賀証人を公判期日外尋問として取調を行なったが(被告人山野井に関しては公判期日における証人として取り調べた)他の三証人については弁護人の同意がなく、被告人芳賀に関しては公判期日外尋問として取調を行なわなかったのみならず、被告山野井(出頭)に関しては公判期日における証人としての取調をするにも至らなかった。

(3) その後馬屋原弁護人は辞任し(同年一〇月一九日)、第五一回公判(同年一〇月二二日)は無期延期され、その間、岡村大弁護士が一旦両被告人により選任され(同四〇年二月一一日)公判期日の指定までありながら最初の期日前に辞任し(同年四月五日)、第五二回公判(同年四月一四日)はその前日選任された後藤昌次郎弁護士(被告人芳賀)及び広江武彦弁護士(被告人山野井)の列席のもとに開かれ、坂田、木藤両証人は出頭したが新期日指定のみで実質的審理に入らなかった。

(4) 第五三回公判(同年七月三〇日)では、前に実質的審理をした第五〇回公判以後、両陪席裁判官ともに交替したので公判手続の更新をすることとなったが、当日及び第五四回公判(同年八月一三日)を通じて所定の更新手続中公訴事実の要旨の陳述、証拠調、被告人の意見及び弁解の各方法等につき裁判所と弁護人の間に意見の対立を来たし、ついに第五五回公判(同年八月二七日)に及んで弁護人は裁判長判事山岸薫一に対する忌避を申し立てた。

(5) この忌避申立は東京地方裁判所による却下決定、その即時抗告申立に対する東京高等裁判所による棄却決定、その特別抗告及び再度の特別抗告に対する最高裁判所による各棄却決定により終了し、忌避申立の理由のないことが確定したが、その間広江弁護人は辞任し、あらたに司波実弁護士が両被告人の弁護人として選任され、前回公判から約七ヶ月を経た昭和四一年三月二九日に第五六回公判が開かれ、以来第五九回公判(同年五月一〇日)迄の四開廷を費やして更新手続が終了し、前記第六〇回公判以下の手続に移行しているのである。

三、そこで前記第六二回公判において弁護人のなした裁判官全員を忌避する申立に対し原裁判所がそれを訴訟を遅延させる目的のみでなされたことの明らかなものと認めて却下した本件決定の当否について検討することとする。

(一)  本件は前記の如く、第一回の起訴から既に一〇年を超える年月を経過し、裁判官はじめ関係者の努力にもかかわらず未だに事実の審理を終らず、それだけにその職責上、審理を遅滞なく促進しようという裁判官の熱意は容易に理解できるものがある。他方弁護人は本件即時抗告申立書自体にも述べられているように、裁判所が多くの弁護人側の請求証人の採否を留保したままで本人質問を開始したこと(第六二回公判以後、被告人本人質問に入っている。)から、その終了のうえはあるいは、留保中の証人がすべて却下され、一挙に事実の審理が終結されるのではないかと不安を抱き、それをおそれて忌避を申し立てたのではないかと思われる事情も窺われるのである。

(二)  ところで、一方前記第六〇回公判調書中の証拠関係カードの記載によると、問題の坂田平八等四名に関する採用決定の取消につき弁護人の意見の記載がないことは明らかである(不必要とあるのは、当日弁護人が取調を請求した証人についての検察官の意見と思われる)。しかしながら証拠調に関する訴訟関係人の意見は、公判調書の必要的記載事項ではないし(刑事訴訟法第四八条第二項、刑事訴訟規則第四四条参照)、記載されていないからといってすぐに、弁護人による「意見陳述がなかった」とかあるいは「意見陳述の機会を与えられなかった」とかいうわけにはいかない。殊に証拠関係カードに、前記(一の(四)参照)のように証人五一名中一一名については、通常の場合では当然聴いているはずの、検察官の意見も記載されていないような状況であるから、調書上の記載の有無だけで事を論ずるわけにもいかないのである。

(三)  それにしてもかりに、右の争いのある証拠決定の取消に際して裁判所が訴訟関係人に意見を述べる機会を与えなかったとしたところで、それ自体の当不当は別として、そのこと自体は、流動しつつ前進する公判審理の実際からみて、関係裁判官の公平不公平を云為せねばならないような決定的なことではない。意見を述べる機会を与えたかどうかを争うことよりも、訴訟手続上の欠点があれば遅滞なくこれを是正して、公判審理を円滑迅速に軌道に乗せるよう、関係者が配慮協力することこそが大切なのである。それでなければ、本件のような相当複雑困難な事案の早期処理はとうてい望むべくもないことを銘記せねばならない。

(四)  それはそれとして、前に摘記したような本件訴訟の進行状況であり、殊に第五三回公判以降、裁判官と弁護人との間に意見の対立が続き、その間裁判長に対する忌避申立もあり、それに加えて今回の証拠決定の取消手続に関する問題から再たび忌避申立が行なわれているのであって、以上本件公判審理の経過、状況からみて、その根拠の有無はさておき、裁判官に対する弁護人側の不信感の存在は覆うべくもないのである。このようなことは、特に長期に亘り弛緩なく公判審理を辛抱強く推進せねばならない本件のような複雑困難な事案においては極めて不幸なことである。裁判所として訴訟を何とかして促進したいと熱望することはその職責上当然のことで十分理解できることである。しかし事案によって訴訟の促進にも限度のあるのは当然であって、訴訟促進の焦慮から事を急ぐの余り、訴訟関係人の不信感をかっては、却って訴訟を著しく遅延させる破目に陥らないとも限らないのである。

(五)  これを要するに、自からの公平を信ずる原裁判所として、また訴訟促進の要請とその職責から、弁護人側のなした本件忌避の申立が前後の状況からみて全くいわれのないものと受け取られたことも理解できないことではない。しかし本件公判審理の前記の如き経過、状況からみて、本件忌避の申立は、直接には前掲証拠決定の取消手続に関する問題に端を発し、その手続の正当な遵守を強く要求する弁護人側の、裁判官に対する非難が中心であるとはいえ、この点に関する調書上の記載なども弁護人側の納得を得られない状況であり、殊に裁判官に対する前記の如き不信感がその背景となって種種の事情がまつわっているだけに、このような忌避の申立をいちがいに、訴訟を遅延させる目的のみでなされたことが明らかなものとは、にわかに断定し難いものがあるのである。

四、(結論)

以上の理由により原裁判所としては、むしろ通常手続に従ってその忌避申立理由の当否が最終的に判断されるのを待つべきであって、特殊例外の場合だけに許される簡易手続により本件忌避の申立を却下したのは失当であると認めざるを得ない。

してみれば本件抗告は結局において理由があるので刑事訴訟法第四二六条第二項により原決定を取り消し本件を東京地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 新関勝芳 判事 吉田信孝 大平要)

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